日鉄物流では、社員の誰もが生き生きと意欲を持って働けるように、
キャリア支援制度や福利厚生制度を整えています。
どんな制度を活用し、自らのキャリアに生かしているのか。
ここでは一事例として、松井昴のこれまでの歩みを年表形式でご紹介します。

MY POLICY

代わりのきかない存在をめざす

WORK × LIFE
 

WORK

LIFE

AGE22

入社

新入社員研修を経て、広畑地区 営業部 輸出入課に配属。製鉄所から輸出される鉄鋼製品の通関業務のほか、姫路港や広畑港に輸入される貨物の通関業務に従事。日々業務に関する知識を深めた充実した時間であった。

初めての一人暮らし

独身寮で初めての一人暮らし。現場職の方とも交流が深まり、今でも連絡を取り合う親しい仲に。PCや英語のスキルを高めるために、自主的に通信教育を受講。会社からの受講費補助が支えになった。

AGE24

資格取得への挑戦

輸出入課から営業課へ異動。鉄鋼メーカーを中心に内航船の出荷手配や、物流センターでの入出庫・保管業務などを担当。物流業に従事する上で必要な倉庫管理主任者やISO監査人、国際複合輸送士の資格を取得。

 

AGE28

 

TURNING POINTTURNING POINT結婚

挙式のために結婚休暇を取得し、会社から結婚祝金も支給された。独身寮を出て、妻と二人の新婚生活へ。家族ができたことで、仕事に対するモチベーションがより一層アップした。

AGE29

TURNING POINTTURNING POINT国際物流部へ異動

東京本社の国際物流部に異動。外航船のオペレーション業務や海外プラントの立ち上げなどに携わり、念願の海外を舞台にした仕事へ。

家族で東京へ引っ越し

異動に伴い、妻も一緒に東京で暮らすことに。赴任休暇や赴任手当が支給され、上司や先輩たちも東京での暮らしをサポートしてくれたのは心強かった。

AGE31

外航海運部で活躍

外航船のポートキャプテンとして荷役作業の調整・指導などに従事。現場とのやりとりをスムーズにするため、専門別研修でCADを使えるようにするなど、意欲的に仕事に取り組んだ。

 

AGE32

 

TURNING POINTTURNING POINT第一子誕生

妻の出産に際し、出産休暇を取得。第一子が生まれ、仕事に対するモチベーションも高まった。子どもが急に病気になった時は看護休暇を取得し、家族に寄り添った。

AGE33

TURNING POINTTURNING POINTタイの現地法人へ赴任

国際物流に従事する中で、自らが手配した貨物は現地でどのようにして届けられるのか。自分の可能性を広げたいと、海外現地法人を希望。タイでは語学を学びながら、輸入材輸送や倉庫保管の営業に携わった。

家族で初めての海外生活

赴任して半年後に家族もタイへ。初めての海外生活と子育ては戸惑うことばかりだったが、他社駐在員の人たちと情報共有。次第に現地での生活にも慣れ、家族の絆が深まった。

AGE36

 

順調な海外生活

インターナショナルスクールに通っていた長女が小学校に入学。長女とは基本的に英語で会話。勤続15年のリフレッシュ休暇と補助金を使い、家族でモルディブに旅行した。

AGE39

鋼材物流部に異動

東京本社に異動し、営業本部 鋼材物流部へ。国内物流・運送業界の課題対応や、全社横断型営業ネットワークの構築などに携わる。コロナ禍ではテレワークやフレックスタイム制を活用し、業務を遂行した。

日本へ帰国

6年ぶりに日本へ帰国。家族揃って日本での生活が始まった。長女にとっては、初めての日本での学校生活のため、少なからず不安も…。新しい生活に早く慣れるようにサポートし、一段と家族の結束力が高まった。

自身の歩みを振り返って

学生時代に海商法を勉強していた私は、ゆくゆくは海外貿易に関する仕事に携わりたいと考えていました。入社してからも、ますますその想いが強くなり、自主的に通信教育制度を活用して英語を勉強するほか、国際複合輸送士などの資格取得に20代で挑戦。いち早く取得できたのは、キャリア支援制度が充実していたからにほかありません。上司や周囲のサポートもあり、自分の引き出しを増やすことができました。
念願叶って、33歳で海外赴任が実現した時はうれしかったですね。タイ語でのビジネスに悪戦苦闘しながらも、在籍した2社でいずれも過去最高の収益を達成。その要因の一つとして、国際複合輸送士の資格が役立っています。
社員一人ひとりの「こうありたい!」という想いに、充実したサポートで応えてくれる。それが日鉄物流だと思います。

記載された写真および原稿は2023年12月時点のものです。